「ふつう」からはみ出た生き方
プラスサイズモデルという仕事をしている。いま私の体にはXLサイズの服がぴったりで、ラ・ファーファという雑誌やアパレルブランドの広告などで大きいサイズのファッションを身に纏い、私と同じぐらいの体型の女性が参考にしやすいリアルを表現している。
2013年から始めた仕事だけれど、日本ではまだまだ認知度が低いと思うし、私自身、10年前は日本の未来にこんな仕事があることも、自分がこんな仕事をすることも想像できなかった。そして昔は私のようなふくよかな体型の女性が、モデルとしてファッション雑誌やテレビに出てくることも無かった。友達と服屋さんに行っても、私の入るサイズの洋服はそこに無く、『ふつう』より体が大きい自分は、ずっと社会から無視されているような、疎外感を感じていた。
プラスサイズモデルをしていると、肥満を推奨しているのか!と批判してくる人もいる。私がプラスサイズモデルとして表現したいことはただ、私のような体型の女性や様々な体型の女性が、この社会の中に存在しているということだ。
私がモデルとして活動する姿を見た女性たちから「体型に関わらずおしゃれを楽しんでもいいと気付いた」という声や「嫌いだった自分の体を少し肯定的に捉えられるようになった」など、体に対して前向きに生きられるようになったというご意見をたくさん頂く。『ふつう』でなくては生きづらい社会の呪いを、私は少しずつ解いていきたい。
体重よりも大事なもの
ふくよかな人に対して、あなたはどんな印象を抱くだろう?幼少期からぽっちゃり体型だった私は、体型について揶揄されたり否定されることが多かった。保育園の頃には他の子供に「デブ」と笑われた記憶があり、小学校の女性教師には太り過ぎだとお説教された。時には見知らぬ人にも酷いことを言われた。私はそれらに対して返す言葉を持たず、太っている自分が悪いと傷付くことでやり過ごしていた。友達はいても引っ込み思案で「どうせ私なんか」と、ひねくれた性格だった。
テレビではダイエット番組が大流行、痩せた女性は称賛され、ふくよかな体型の人はいつも、ネガティブなイメージか笑いのネタにされていた。自分の体が恥ずかしく、嫌悪感でいっぱいだった。
思春期になり、好きな人に「痩せて」と言われたことを機に食事を徹底的に減らした。体重は30キロほど減ったが、生理が止まった。すると今度は過食症になり、摂食障害に悩むようになった。
体重や食べる事に振り回される生活を8年程続けたある日、容姿は十人十色みんな違うのに、私はこのまま永遠に体重を気にしながら生きるのか?と、疑問に思った。そして太っていることは不幸だという価値観を私が自分で内面化していることに気が付いた。
少しずつ世界の見方が変わり、自分軸で物事を決められるようになったことで、摂食障害が治っていった。私が大事にしなければいけないものは、体重や他人の声よりも自分の心だったのだ。
多様性社会をあなたが望むなら
自分の体型について悩む女性から話を聞く機会があるが、発端となった出来事は容姿に関する他人からの何気ない一言や、社会からの『あるべき体型』のイメージからだと答える人が非常に多い。日本でよくある「太った?」「痩せた?」など体型変化を確認するような日常会話は、実はアメリカではボディシェイミングとして認識され、失礼なことだとされているそうだ。
痩せやすさ太りやすさなどの体質は人それぞれ異なるし、生活環境や年齢、病気などによっても人間の体は様々に変化していく。実は薬の副作用で太ってしまった人が外見だけで不健康とみなされ「痩せた方がいい」「運動した方がいい」と言われてしまう例もよく聞く。褒め言葉のつもりの「痩せてるね」も、人によっては嬉しくない言葉だったりする。誰かを傷つけてしまう可能性のあるこの体型指摘の風潮は、そろそろ終わりにしなければいけない時代だと思う。
もし誰かの体型が急に変化して、つい心配で何かを言いそうになったら、少しだけ冷静に立ち止まってみて欲しい。そして外見で分かることを言うよりもまず「最近は何か変わったことはある?」「体調はどう?」など内面的なコミュニケーションをとってみて欲しい。そしてもし誰かが誰かの体型を指摘したり貶したりしたら「それは言ってはいけないことだ」という風潮を作って欲しい。誰もが生きやすい多様性のある社会を望むなら、私たちに出来ることはすぐそこにあるのだと思う。
『新婦人しんぶん』(2020年7月〜9月)の「ずいそう」に寄稿したコラムを許可をいただき転載しています。